Kocco’s blog

イギリス生活、美術教師、ロックダウン、妊娠

同性愛、家族のあり方

スタジオには実に様々な人々が訪れた。午前中は家事や子育ての合間にクラフトに勤しみたい主婦たち、学校が終わる夕方には放課後のアートクラスに訪れる子供たち。職場体験の一環でスタジオを手伝うティーンたち、貸し出しているスペースには鍼療室や児童相談所などもありそこを尋ねるお客さんも含めるとたくさんの人の出入りがあった。朝目が覚めて窓を開けると中庭からぺちゃぺちゃおしゃべりしている大人たち、中庭の遊びまわっている子供たちの声が聞こえて来た。1日の始まりを集まる人の活気から感じられるような特別なコミュニティスペースだった。

 

 

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ある日働くスタッフの一人、ペートと話していたときのこと。彼女はレセプションのジャナちゃんのバンドメンバーでドラマーの彼女はとてもカラッとした性格で物事をはっきりと言える強い女性というイメージだった。スタジオのオーナーの方針に対しても鋭く指摘、時にアンチの意見を持ってもしっかり発言することができる正直者、私は働き始めの頃適応するのに必死で自分の意見など自信を持って英語で表現するのに慣れていなかったので彼女のような存在は刺激的だったことをよく覚えている。パートナーがいて彼女はレズビアンであることは知っていた。(本当は私の中ではその人の愛する人の性別によってその人自身をカテゴライズするような表現はあまり好ましく思わないのだが、、)

 

 

周りのスタッフからも聞いていた上、多様性溢れるロンドンでは職場でも各々のバックグラウンドにオープンなのだと感じた。だからペートがパートナーの話をするときもいたって普通に聞いていたけし質問もしたりしていたけれど、“子供ができるの!”と言われた報告されたときは、流石に自分は今までの会話で平常をただただ装って話を聞いていたのではないかと気づかされるくらい様々なことに疑問が浮かんだ。パートナーが精子バンクでの人口受精に成功したそうだ。心から信頼しているパートナーとの間に授かった子供、彼女はとても生き生きしていた。その頃勤務時間やパートタイム契約の条件から彼女はオーナーとぶつかることが多かった。幸せと隣り合わせに彼女なりに家庭を支えるた目の準備などに追われているような感じであった。調べてみると人工授精で授かった子供もパートナーが法律上の親であるし、籍を入れていない場合でも法律上の親をノミネートすることができらしい。イギリス内では同性婚がCivil Partnershipという籍の入れ方で認められている。(2019年には異性間でも宗教上のことをシェアしない、妻と旦那と呼ばない関係性などのメリットを持って認められるようになった。)そこに絆がある限りどんなことがあっても二人の子供であることは変わりない。

 

 

報告をされたときの確かに子育てやカップルの子供を介した関係性について深く聞きたくなったことは確かだが、たまに彼女がオンラインにあげている幸せそうな写真を見て愛の在り方や命の育みかたは実に人それぞれの形があって当たり前のことだと実感することができたし、はっきりと報告してくれたペートの目に私の驚く反応がどのように写ったのかは気になるが、今でもとても感謝している。

 

 

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オーナー、オリエルさんの生き方

働くケイトスタジオはウェストロンドンに拠点を構える美術学校/アートスタジオ。“Creative for All”のキャッチフレーズに込められたオーナー、オリエル氏の想いとは。私はそこで働く中で忘れられない日が幾度とあった。ここに書き留めておこうと思う。

 

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油絵専攻、大学時代に彼女はイギリスを離れ遠く離れた南アメリカはチリで過ごす。スペイン語を0からマスターし異国での生活に刺激を受けるがそこで恋に落ちた版画家のパートナーと共にロンドンにクリエイティブスタジオを作る夢を胸に抱き帰国。生まれ育ったイギリスで家庭を築きスタジオの運営で収入を得ながら暮らす事ができるような理想の職場を作るために彼女は思い切ってウェストロンドンに物件を買ってしまった。そしてなんとスタジオのオープンと共に彼女は第一子を出産。我が子には自閉症発達障害があることがわかった。

 

ケイトスタジオでは小中高生から大人まで陶芸、ドローイング、プリントメイキングなどアートを楽しむことができる。失敗を恐れず冒険する、ワンパターンの成功に執着しない、自由になりにものづくりの過程を通して自分自身の感覚を楽しむことを教えたいと語る。息子の存在からインスピレーションされ週に一度彼女自身にとっても挑戦と語るのはSEN(Special Education Needs)クラス。ハサミや筆、ノリを使い素材を組み合わせていく作業は参加する生徒にとって絶好のアートのストレッチだと考えている。スタジオのメッセージに賛同したボランティアの大人たちや地域の高校生も職業体験でアシスタントとして参加しクラスは毎週盛り上がっていく。

 

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将来的にはアーティストインレジデンスのプログラムも設置し海外からロンドンで経験を積みたいアーティストに美術教育の現場で働きながら制作場所と住まいの提供を考えているらしい。オーナー自身はロンドンを離れ子育てすることも視野に入れているそうだ。そしていつかハンディキャップがある子供達も共に手を動かしいつしか彼らが働くことのできるような場所を作り上げていきたいと語っていた。思い描いた世界を実現するために常にたくさん周りの人とコミュニケーションをとり、先へ先へと動き働きかける彼女のオーラと情熱は人並ではない。彼女のビジョンに賛同し14年来の暖かなコミュニティがそこに出来上がっているのだ。

 

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とある日の午前中は二時間の2:1の陶芸ロクロ体験。来てくれる人には時間内にめいっぱい楽しんで欲しい、スタジオで働き始めて4ヶ月が経っていた。でもそれはまず本当に楽しんでもらうには工程をきちんと伝えてからだと思っていた。陶芸を専攻した大学4年間、物作りは大好きだ。そしてその頃レッスンを行うとき、自分の口から呪文のように出て来ている英語を発見してしまった。その背景にはセリフで教えることに慣れて来たルーティーン化した自分と、時間にかかる講習料とかいろんな台無しにできない大人としての都合、責任、、みたいなものがそうさせていることにも気づいた。そして目の前では今さっき説明したことが全く生徒さんに伝わっていないという現状。。その時私は英語の呪文を止めその時そこに立つ自分が発することができる英語で伝えて導いていかなくはいけないことをようやく実感した。でもあの単語がが出てこない。例えば“高さを出す為に底上げをしなくてはいけないけれど側面のそこの部分に土が足りないからもう一度ひとつまえのプロセスに戻って中心から指の腹をスライドさせて土を外側に描き詰めて。。。”なんて伝えたい時、、ありったけのボキャブラリーで挑むけれどもっと回りくどくなってしまった。伝わっていないことは生徒さんの手つきをみれば一目瞭然。結局手自ら振りを見せて、“。。。Like this..?”といって見せた。

 

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人には強いてはいけないしそれぞれのペースがあるし教える側としての上からの圧力もかけたくない。出来上がっていく器がたとえ完璧でなくても、そんな状況も一緒に楽しもうと思いたいがために笑顔は絶やせず、、、気楽に気楽に残りの時間をマネージしていくぞ、、、とそんなことを意図的に考え始めたから私は全然気楽でなくなってしまった。お昼ご飯を食べようとオーナーと兼用のキッチンに行った時“ハロー!(本当にザ・クイーンズイングリッシュ)クラスはどうだった?”そう聞かれて、先ほどのクラスのことを説明してたら考えがうまくまとまらなくて涙が止まらなくなってしまった。外は昼下がり。雲の切れ間から太陽が上がって来て私の涙を照らしていた。なんだか無駄にドラマチックな瞬間になりそうなことに気づいたけれどいろんな思いが溢れ出て止まらなかった。普段真面目に黙々と働いている“日本人のコッコ”は考えすぎた後は脳内停止、ただただ涙が出てしまった。でもそこで素直に言葉を交わして、その瞬間を覚えていれば今は根っこでわからなくても将来の自分の人とのコミュニケーションのあり方を根本的にかえるような出来事になりそうだとも思ったのだ。

 

“マスターの専門的な技術を学ぶ為にこのスタジオがあるんじゃないのよ、初めてスタジオに訪れて陶芸に出会う人のそのもの作りに対する固定概念や完成形を自分で実現するのは難しいんじゃないかって考えてる全ての人のプレッシャーを取り除き自分にもできるっていうセラピューティックな創作のためにここがあるの。初めて作るポットの精度がどうだって構わないじゃない、一時間の中で仙人になろうとすること自体間違っているし、大事なのはその場にいる私たちがいかにその人の中のいろんな壁を取っ払うことができるかということが大切なの。”

 

。。。(もちろんこの裏では私を含め他のスタッフがテクニカル面で裏打ちできるものかある必要があると強く感じるけれど)この考え方はこれから私とレッスンで出会う人、関わる人、何より自分にとって自分を比べて苦しめていた“理想の講師像”のような負担がなくなっていくと思った。多分陶芸だけではなく何をする上でも大事なのがそれぞれの人が自分にもできるという自信と自分はこれでいいのだと思える安心感を感じること。オーナーがストーリーテラーのように自分の物語を、セオリーを語り出してしまうのは、日々のやり取りの中で見えなくなってしまいそうな大事なメッセージを伝えるためだったのかもしれないということに私は気づき始めた。

 

 

“コッコ、これを盗めればなかなかいい人間になれるし何より自分が楽になるから”

ロンドン到着 ー 美術学校/スタジオでの住み込み生活の始まり

車が動き出した。車窓に映る景色を眺め空港がある郊外から少しずつ都市部に近づくのがわかった。

 

(オリエルさん:以下A)—歳はいくつだっけ?

 

—26歳です、もうすぐ27歳ですが。

 

—A: じゃあちょっとコッコの年下だわ!ついこの前までコッコの部屋に住んでたスペイン人の男の子はオウペアーだったのよ。オウペアー(Aupair)というのは例えば学生とか家賃が負担になる若い世代は家賃免除の代わりに住み込みでベビーシッターのお仕事をするシステムのことで。その子は私の3人の子供の面倒を見てくれてたの。自分の生活費とかは夜にパブで働いて稼いでいたのかな。

 

———

 

私がオリエルさんを知ったのはちょうど渡英半年前のこと。ロンドンは物価が高いと聞いていたし着いたらすぐに働ける生活をしたいと思っていたから渡英前から転職サイトのIndeedなどなどチェックしていた時のこと。”Art Teacher 募集中!“思わず連絡してみた。

 

“日本からはるばるくるの!すごいじゃない!そのガッツなんだか惹かれる、よかったらうちでルームシェアしてる男の子が夏頃パートナーと住む関係で出ていくから、住み込みでのお仕事とか検討して見ない?スタジオは自分の制作のために自由に使っていいし!”

 

そんな調子でケイトスタジオのオーナーであるオリエルさんとのやりとりが始まったのだ。

エネルギッシュな彼女は西ロンドンで14年続くアートスタジオを経営している。小中高生から大人まで陶芸、ドローイング、プリントメイキングなどアートを楽しむことができる、地域のコミュニティのような存在のスタジオであることがお話やウェブサイトから伝わってきた。

ただ毎回のビデオ電話でちっちゃい息子さんたち(2歳と4歳)がギャーギャー割り込んでくるためお仕事の内容とか給与形態、シフト、細かい業務内容、スタジオの実態を把握するのに少し時間がかかったけれど、、。

 

東京でのオフィス勤務の経験とは違ったことをしたいと思っていたし、美大では陶芸を専攻し教員免許をとっていたので手でものづくりを教える仕事をしながら制作も続けられる環境があることは私にとって魅力的な環境だった。

 

———

 

そんなこんなで今、私はオリエルさんの車に乗っている、、、約半年に渡る国を超えたデジタルのやりとりが本当に実現して私の日常になっていくんだ、あの時の検索が私の人生?を変えようとしているんだ、とひしひし感じたことを覚えている。

 

スタジオについて長身のオリエルさんはガバッと私のトランクを抱え、こっちこっち!とトンネルのようなガレージを潜って奥の扉を開けた。眩しい日差しが舞い込みトロピカルなヤシの木が生い茂るなんとも緑あふれるピースフルな中庭がそこに広がっていた。何人か人の影が奥に見えるけれど挨拶はさておき、とりあえずしばらく過ごすことになるだろう自分の部屋を見て見たい、案内されるがままに二階建ての建物に入り小さな階段を上がって小さな廊下を通ってナンバー7のスカイブルーのお部屋にたどり着いた。ここからどんなストーリーが始まっていくんだろう。ワクワクしながら部屋を開けるとふわっと夏の香りが舞い込んできた。

 

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屋上から眺めたスタジオの中庭

 

小さなベットと机、思っていたより広々とした空間、荷物を下ろし、無事たどり着いたことを家族や友人に連絡しなきゃとか、早くもっともっと自分色に住み心地よい部屋にしていきたいなだとか次から次へと新生活にフィットしようとする自分が現れた。一方でずっと夢見ていた海外生活、大きな新生活のステップを踏み込んだことをしっかり見つめて覚えておきたいと客観的で落ち着いているもう一人の自分がいることも感じた。

 

専用のシャワールーム、共有のリビングスペース、キッチンを紹介されると屋上の可愛らしい庭園を抜けて外階段を降りて中庭に降り立ち一階のスタジオスペースへ。働くことになる陶芸スタジオを紹介されるとそこにた髭もじゃの小柄なイタリア人、ダビオを紹介された。歳も同い年。ちょうど子供向けの陶芸クラスが終わったところらしい。“今日は顔のプレートを作ったんだけど、子供達が僕のひげを土で再現してくれたよ〜”と苦笑いで作品を見せてくれた。

 

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他にも何人かとすれ違い“日本から来ました、コッコです〜!”とシンプルな自己紹介を唱えながら次々と目の前に現れる登場人物にワクワクした。レセプションに着くとオリオルさんの2歳と4歳になる息子にやっとデジタルを超えて初対面。スタジオのレセプショニストであるジャナちゃんに挨拶を。ブロンドヘアの気さくな女の人、音楽やってるんだって〜?!と興味深そうに聞かれた。彼女はジャズシンガーらしい。

 

スタジオ内にあふれているアート道具、大きな作業台に飛びっちった絵の具、壁に飾られた作品、積み重なったクリエイティブな時間の先っちょを見ている。ここはとっても面白い勤務先になりそうだと私は胸を躍らせた。

 

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いざ、近くの街へお散歩

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通りかかったお花屋さん

続く
 

振り返ると

イギリスでのワーキングホリデー生活が始まったのは2018年7月。

26年間生まれ育った東京を出たことのなかった私はいつもどこかで慣れ親しんだ風景、目にうつる日常の外には一体どんな世界があるんだろう、今この瞬間、反対側の国の人は何をみているのかな、いる場所によって全く違って見えるんだろうな、いつかここから飛び出してみたいと強く思うようになっていた。

 

東京の生活は私を飽きさせない理由で溢れていた。その便利でリズミカルな都市を街角街角で消費していくことで得られる楽しさ、好きな人にあう、好きなものを食べる、無限にある選択肢から自分の好きなようにカスタムしていけるような感覚があった。それは大人になってからもそうだった。仕事もしながら好きなことを続けて、ハンディで心地いいのだけれど何かがとても受け身的で人工的なような、東京という都市ありきで自分があるような気持ちがごまかせなくなっていた。私はすごくないのに都市がすごくてまるで自分もすごいんじゃないかと思い込んでしまうような、とはいえ最初の一歩で海外生活を冒険するなら車を運転しなくて住む、生活が想像できる、あの“いつか住むんだろうな”と思えたあの都市にしたかった。ロンドン、2012年に初めて行った時から気がつけば6年が経っていた。そして2017年、毎年応募していたワーキングホリデービザがあたった。

 

日本を離れるフライトの日当日。物理的に自分がいろんなことから離れて行く現実にめまいがした。生まれ育った街にお別れをして“もう簡単には帰れないくらい遠くに行くんだな”と。思えば思うほど目の前の机もベットも集めたインテリアや小物にも“元気でね”と言いたくなった。ゴーッとエンジン音がして離陸した瞬間、自分で勝手に夢見て選んだ海外生活だけれど想像もつかないところに飛ばされて行ってしまうような行き先のわからない心細い気持ちに押しつぶされそうになった。

 

ヒースロー空港に降り立ったのは夜中の3時。空港の床に無造作に放たれていた私のスーツケースとギターを拾って近くのホステルで一睡した。次の日は住み込みで働くことになっているアートスタジオのオーナー、オリエルさんが迎えに来てくれた。

 

“ハロー!”とすらっと長身の女性がバンを止めてホステルのロビーに入って来た。真夏の風がブワッと外から舞い込んで来た。荷物を乗っけていざ新しい住まいへ。私の持ち物はスーツケースとギターだけ。家もない、人も知らないこの街はじめて会うこの人の車に乗り込むことは(半年前から連絡は取り合っていたけれど)先の見えないとても怪しい賭け事に挑んでいるようだった。

2020年の幕開け

2020年、年明け。彼の実家、スコットランドで新年を迎える。

 

初詣ならぬ初登り。彼のお父さんが車で連れてってくれた。

 

助手席には彼のお母さん。時々政治の話になり、もっと予備知識がないと英語でまともな発言もできないなあ。。なんて不甲斐ない思いが巡るとすぐに私は窓の外を眺め緩やかな小麦色の丘と青空のコントラストを楽しむことに集中した。

 

到着し車のドアが開くと早速後部座席で身動きの取れなかった二匹のラブラドールは水を得た魚のように車を飛び降りてくるくる回って喜んだ。みんなでゆっくり丘を登り始める。緩やかに高くなって行くのはわかるけれど頂上を目指しても歩けば歩くほど奥行きがどんどん奥へと広がっていく。高い木々もなく方向も距離感もつかめているはずなのに、風景がどんどん奥へと進んで行くような山の感覚は初めてだった。

 

目的は頂上、ではなくその麓にある湖。顔の表面もパキッと引き締まるような気温、湖の表面もパキッとしていた。この季節のこの瞬間を見つめている。私は移り変わるこの山の表情を見届けることはできないのかもしれないな。3月末に迫ったワーキングホリデーVISAの期限。自分のいる場所に賞味期限があるような感覚。一年後の自分はどうしているのだろうという不安とぼんやりとした計画が私が全身で進んで行く先をぼやかした。