Kocco’s blog

イギリス生活、美術教師、ロックダウン、妊娠

振り返ると

イギリスでのワーキングホリデー生活が始まったのは2018年7月。

26年間生まれ育った東京を出たことのなかった私はいつもどこかで慣れ親しんだ風景、目にうつる日常の外には一体どんな世界があるんだろう、今この瞬間、反対側の国の人は何をみているのかな、いる場所によって全く違って見えるんだろうな、いつかここから飛び出してみたいと強く思うようになっていた。

 

東京の生活は私を飽きさせない理由で溢れていた。その便利でリズミカルな都市を街角街角で消費していくことで得られる楽しさ、好きな人にあう、好きなものを食べる、無限にある選択肢から自分の好きなようにカスタムしていけるような感覚があった。それは大人になってからもそうだった。仕事もしながら好きなことを続けて、ハンディで心地いいのだけれど何かがとても受け身的で人工的なような、東京という都市ありきで自分があるような気持ちがごまかせなくなっていた。私はすごくないのに都市がすごくてまるで自分もすごいんじゃないかと思い込んでしまうような、とはいえ最初の一歩で海外生活を冒険するなら車を運転しなくて住む、生活が想像できる、あの“いつか住むんだろうな”と思えたあの都市にしたかった。ロンドン、2012年に初めて行った時から気がつけば6年が経っていた。そして2017年、毎年応募していたワーキングホリデービザがあたった。

 

日本を離れるフライトの日当日。物理的に自分がいろんなことから離れて行く現実にめまいがした。生まれ育った街にお別れをして“もう簡単には帰れないくらい遠くに行くんだな”と。思えば思うほど目の前の机もベットも集めたインテリアや小物にも“元気でね”と言いたくなった。ゴーッとエンジン音がして離陸した瞬間、自分で勝手に夢見て選んだ海外生活だけれど想像もつかないところに飛ばされて行ってしまうような行き先のわからない心細い気持ちに押しつぶされそうになった。

 

ヒースロー空港に降り立ったのは夜中の3時。空港の床に無造作に放たれていた私のスーツケースとギターを拾って近くのホステルで一睡した。次の日は住み込みで働くことになっているアートスタジオのオーナー、オリエルさんが迎えに来てくれた。

 

“ハロー!”とすらっと長身の女性がバンを止めてホステルのロビーに入って来た。真夏の風がブワッと外から舞い込んで来た。荷物を乗っけていざ新しい住まいへ。私の持ち物はスーツケースとギターだけ。家もない、人も知らないこの街はじめて会うこの人の車に乗り込むことは(半年前から連絡は取り合っていたけれど)先の見えないとても怪しい賭け事に挑んでいるようだった。