Kocco’s blog

イギリス生活、美術教師、ロックダウン、妊娠

私たちの関係性、生まれる子供の国籍

私とヘンリーは英国の法律に基づきCivil Partnetshipという形で籍を入れた。イギリスの法律上だとこれはMarriageと同じこと。ただ宗教上のことをシェアしない、妻旦那と呼ばないなど個人が尊重されている。2005年に同性間の籍の入れ方として認められるようになり、2019年に異性間でも認められるようになった。私たちもそれぞれの家族の都合上のこともありCivil Partnetshipを選んだ。この名称が日本大使館に問い合わせたところ厄介なことに。。なんと彼らは日本国民法は異性間のCivil Partnershipに関する条項を設けておらず、婚姻届としての受理が不可能と言うのだ。私たちの婚姻が成立しなければ子供は日本で私の戸籍下に入り事実婚の非嫡出子ということに。日本大使館を通さず日本の役所に直接申請してみることに。ちなみに日本での申請が先だった場合外国籍のパートナーが独身証明書を見せれば籍が入れられるがイギリスでCivil Partnershipとして籍を入れていたため独身証明書も手に入らず、、。(英国で異性間のCivil Partnershipを考えているカップルには日本で婚姻手続きを先に済ませておくことを心からおすすめしたい。)イギリスでは結婚と同じく籍を入れているということなのに、日本では認められないというのはとても不甲斐無い。

 

加えて子供の国籍に関しても問題が浮上。日本の憲法では“第十二条 出生により外国の国籍を取得した日本国民で国外で生まれたものは、戸籍法(昭和二十二年法律第二百二十四号)の定めるところにより日本の国籍を留保する意思を表示しなければ、その出生の時にさかのぼつて日本の国籍を失う”と表記がある。イングランドで生まれた場合は事実主義と言って出生によりイギリス国籍を取得するが、スコットランドで生まれた場合、認知主義と言って出生届を出した瞬間からイギリス国籍を取得するのだそうだ。つまり“出生により外国籍を取得”というのはイングランドで生まれた場合に当てはまるのであってスコットランドで生まれた場合はハテナ、とのことでエディンバラ領事館もこの言葉のあやに気づき最近手続きに確証がつかなくなっているそうだ。国籍留保できるかいなかわからない、と言われた挙句提示されオプションが以下。

 

  • 日本の法務省との調整が未完了ですが、当館で事実主義の出生を届け出。
    国籍留保可能。後日修正する必要が発生する可能性あり
  • 従来の通り認知主義で、当館で出生と報告的認知を届け出。
    但し国籍留保は出来ません。
  • 当地での出産を諦め、イングランドで出産され、当館又は在英国大で出生を届け出。
    国籍留保可能。

当地(スコットランド)での出生を諦め、のところにご注目いただきたい。予定日を一週間以上すぎもう生まれるという最中に移動のオプションも促す先方。

 

そんな中。。

 

9月10日(木)、10時17分、娘が無事誕生した。

はち切れそうなお腹との生活が終わるならなんでもするから、かかってこい!

といった気分だった。予定日から二週間近くが経っていた。(出産エピソードは後ほど、、、)

 

スコットランドで生まれた子供はスコットランドに出生届を出すことが義務付けられているので現地のアンガス地区役所で出生届を提出。日本への出生届は大使館を通してではなく、書類を一式揃えて母親に帰国後市役所に提出していただくことになった。事実婚、非嫡出子となった我が子。父親の認知届けを出したことで戸籍には父親の名前も乗っている。ただ将来的に認知の親は配偶者ビザ取得の保証がないので一緒に日本で暮らせる日がいつになるのかはわからない。

 

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年は明けて1月18日、セントラルの日本大使館に子供のパスポートを取りに行った。日本からも戸籍に名前が乗り、国籍留保の手続きも無事現地の役所による対応の元済んだ。ただイギリスのパスポートのように郵送はしてもらえず本人が大使館に赴いての受理が義務付けられているとのこと。新型コロナがイギリスで見つかったことでロックダウンの規制が厳しくなり地下鉄での移動も気がひけるというのにこの気が利かない対応。なんとかたどり着きマスク二枚装備、ハンドジェルは常につけてパスポートの受理が完了。晴れて日本へ帰ることができる証、日本人であることを証明するパスポートを手に入れたのであった。(続)

 

 

予定日前日、そういえば。

予定日前日、もう二人でゆっくりレストランに行くこともなかなかできなくなるのだからいまを楽しんで来たらいいじゃない。とパートナーヘンリーのお母さんにひと押しされて、近くのレストランで二人きりのディナーデートにやって来た。近隣の人から車を走らせてまで駆けつける人もいるという愛されレストラン。メインのシェフが変わってから生き返ったように評判を取り戻したらしい。外は夕陽がオレンジ色にとても眩しくブラインドのシマシマがヘンリーの顔一面を纏った。私はそこでSticky Toffee pudding を頼んだ。デーツの香りとしっかりコクのきいたキャラメルのケーキ。一口目でファンになった。私は話しながら去年末のクリスマスの時期にもこのレストランにきたことを思い出したりしていた。

 

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凍えるくらいパリッと寒い夜、レストランで食事とアルコールをすませ歩いて家に戻る途中、街灯もなく真っ暗田舎道の真ん中で空を見上げては一面の星空に息を飲んで火照った。自分の家族が住む街は、私の大切なものでいっぱいの母国はいったい本当はどれくらい遠いのだろう。単位や数字以上に実感したい衝動にかられた。その時私たちはなぜか遠くの将来に目をやりたくなる気分になって子供の話をしていた。“地球は人で溢れてる。人口が増えれば二酸化炭素は増えるし、環境にいいことなんてない。俺は子供はいらなない、人間は命を作り出すことについて慎重に考えるべきだと思うんだ”なんて得意の力説を聞かされた後私はぎゅうっとお腹が痛くなったことを覚えている。それは今思えば綾杏が宿っていたお腹だったのだ。彼女は私のお腹を、しっかり出しなさい!と蹴ったのかもしれない。

 

20th Century woman

20th Century womanという映画を見た。シングルマザーと15歳の男の子と彼らの営むシェアハウスに住む住人たちとのお話。登場人物それぞれの年齢ギャップと関わり方が面白かった。息子のガールフレンドが家に出入りして住み着いたり、住人の1人で20代半ばのフォトグラファーの女の子は弟のように息子を可愛がりパンクバンドのショーに連れ出したりする。はたまた別の住人は30代後半ほどの独身男性、彼は自由を好み陶芸をしたり生活自体は車を直したりして生計を立てている。家主であるシングルマザーの良き相談相手のような存在でもありフォトグラファーの女の子と関係を持つようなシーンも。

 

この映画の面白いのが親子だけの関係ではなくその親子を介して生まれる人間関係が紡ぎ出すドラマにそれぞれの立場でつい感情移入してしまうところだ。私は29歳、私もいつかティーンエイジャーの母になり自分の子供に“この性教育は自分の子供の年齢にふさわしいのか否か”“この友人はいい影響を与えて居るのか”などつい気になってしまう日もくるのだろう。時代は代わり旬の音楽も理解ができなくなってしまったり、、することもあるのかな。はたまた20代として10代にクールでいたい大人のお姉さんぶりたいような気質もないとは言えない。映画の中に出てくる登場人物一人一人が自分の立って居る人生の一ページを思いっきり生きていた。幾つになったから終わる、なんてことは一切なく進化して理解しあっていけるような人間関係がループしていけばいいな。

 

この映画を見てロンドンに来た時初めてお世話になった住み込みのスタジオのオーナーを思い出した。オーナーの長男も14歳くらい。彼女の作り出したスタジオというスペースは14歳も様々な年齢の人に囲まれて刺激しあって生きていくことのできるような空間。母になってそのようなスペースを作り出すのはなかなか日々の努力がいることだし彼女は確かに一緒に働く上ではちゃめちゃなところがあったけれど関わる全ての人が多様性を感じられるようなスペースにいれたことはとても特別だった。どんな形であれオープンにたくさんの人を招いて助け合えっていけるような人生って最高だな。毎日肥やしていきたい。

天井事件

予定日まで後少し,,大切な友人2人の声を聞くことができた。1人は東京、1人はアムステルダム。以前は簡単に会えていたのに、毎回キャッチアップするたびに前回よりも変化していっていた相手の日常と変わらないトーンで言葉を交わせる仲と毎度の電話は本当にいろんなことに気づかされる。田舎の外れの草原に佇むお家の中にいると電波を伝って受け取ることのできる外の情報は果たして本物なのか戸惑うこともある。電波が悪いとやっぱり遠くにいるんだなと感じる。

 

朝日がのぼり長い夏の昼間を超えて夜には日が沈む。一日は穏やかにすぎるようでとんでもない出来事も起きる。

 

例えば,,,天井が落ちてきたりする。

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ドブソン家の広間はとっても贅沢なシルバニアファミリー感漂う空間だ、たっぷりウェーブのかかったカーテン、ふかふかのソファに刺繍が入ったクッション、なんだかゴージャスに感じるタッセル、家族の歴代の写真(最新版もなぜか古めかしく見える)豪勢な絨毯もその空間に座るとこちらがなんだか謙遜してしまう。私がその部屋に行く目的といえばそこにちょこんとデスクを設けてもらいリモート仕事する母親に会いに行く時と電波の悪さに嫌気がさしてルーターの近くに行って見る時のいずれかだ。

 

友人との電話が終わりキッチンに居るとヘンリーに遭遇。“あの音聞いた?!お母さん間一髪だったよ、、もし運が悪かったら最悪の事態になっていたかもしれない。。とりあえず広間に来て!”

 

ヘンリーのことだからまた私を驚かすためのジョークを思いついたのかもしれない。と私は広間の扉を開けるまでは至って冷静だった。が、扉を開けるとそこは漂流教室。普段のシルバニア感は微塵も感じられなかった。部屋中崩れ落ちたブリックの塊と感じるのは本物の塵…20年前に石膏技師の人が手を施して以来こんなことが起きるとは誰も予想していなかった。下にあったテーブルは木っ端微塵、ソファーは重い石膏の塊が降って来たせいで埃まみれだった。

 

もしもその時母がソファーに座っていたら、、もしもその時自分がそこにいたら、、と考えるととてつもなくゾッとした。一瞬のタイミングの違いが生と死を決めることがあるのだと、生き残ったからには強運と受け止めるしかないが。。 

 

崩れ落ちた天井とびっくりしながらも平穏な母の笑顔のギャップ、あまりの衝撃に笑いが止まらないヘンリー父、いろんな状況が不気味で考えれば考えるほど私とヘンリーの顔は凍ってしまった。お腹の子が無事でよかったし、この子のためにはるばる来てくれた母が無事で本当によかった。

 

予定日まであと4日、受け継がれるミトコンドリア。

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予定日まで後4日。骨盤やふくらはぎなど14キロ近く増えた体重を支えるために身体全身が懸命に働いているのがわかる。人間の身体はとても不思議だ。女性の身体は生命を作り出すパワーの源、ミトコンドリア卵子の中にある。これは代々女性から女性に受け継がれていくもの。男性の精子はDNAを運んでくるがこのミトコンドリアとの融合が命の誕生に不可欠だ。植物も動物も動物の中の人間も命をつなぐことが命の中にプログラムされている。私の意思がどうであれ細胞分裂を繰り返しお腹の子供は成長し今日もツンツン突っついてくるし動いている。お腹の子は女の子だ。彼女も私のミトコンドリアを受け継いでいく。私は脳みその作り方も卵巣の作り方も知らないけれど私の身体は黙って黙々と彼女の身体を成形し続けてきた。不安な日もハッピーな日も愛を紡ぐ日も孤独な日々もずっとずっと進化を促してきた。その命が今まで守ってられて来た私の身体という母体を卒業して外の世界へ向けて飛び出そうとしている。外の世界へ飛び出すその瞬間、母としてはこの命の誕生を後押ししてあげなくっちゃ。

ハッピーバースデー。

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私の誕生日は数字の始まりの1と終わりの9がInfinityの象徴でもある8が先頭にある。始まりと終わりが繰り返される、そんな意味もひそかに持っているらしい私の誕生日。

 

朝目が覚めていつもよりヘンリーがベットから早く出た。それはとても珍しいことで少し特別な日な気がした。朝はガーデンのラズベリーを取りに行こう!と行ってヨーグルトの入ったボウルを片手に2人でガーデンまで歩いて行った。少し曇っているが過ごしやすい日。

 

インクキャップというインクが傘から垂れてくる不思議なキノコが生えている曲がり角を曲がって家庭菜園のあるグリーンハウスまで。

 

グリーンハウスの窓ごしにお花が飾ってある。私のお母さんがリモート仕事で使うお部屋を用意してくれたのかな、中に入るとなんとそこには小さなろくろが!どうやらここは私のスタジオスペースにしてくれたようだ。回転体を見ているとロンドンで働いていた日々のどこか懐かしい気持ちになった。日常の一部としてずっと続けていた陶芸。ここでも何かできるのかもしれないけれど、、大きくなったお腹で円盤に手が届かなかった。今は少し待っておこう。

 

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午後はセントアンドリュースまでドライブへ。最古の大学、最大の大聖堂で有名な場所。世界的にはゴルフのファンが観光に訪れる。アメリカ人、日本人も多い。母とヘンリーとゆっくり

 

街中を散策して定番のフィシュチを食べた。母が英語で注文している。西洋人からすればはたどたどしく見えるんだろうな。なんでも慣れていないことをする時人はドギマギしてしまうと思う。それって普通だ。そんな母の挑戦する姿はとっても愛しかったし、ヘンリーも現地の人も全く普通に受け入れてくれている(ように見える)

 

私も私で自分が思っている伝わり方と違う伝わり方をしていることがあるんだろうな。言葉って難しい。テキストみたいに話せることが全てじゃないが伝わりやすいように勉強することは相手への優しさでもあるのかなと思うこともある。

英語しか話せない欧米人で、こちらの合わせて話してあげている英語に首を傾げられると本当に腹立たしい気持ちになることがたくさんあった。でも今は英語主体で毎日が回ることへのストレスはない。自分が選んだ道の先について来たオマケ、毎日覚えることがあって面白いから。遠回りしてやっと会話が理解できる、主張できる、そういうのも成長につながると信じながら、、、。

小さな宝石屋さんで石英とローズの石を買ってもらった。自分でも買おうと思ったものだけどお会計の時さっとお母さんが出してくれた。これは小さな誕生日プレゼント!

 

夜はテリルさんが作ってくれたストロベリートールケーキを家族みんなで食べた。ショートじゃなくてトールなのは二重に重なったストロベリーケーキから。テリルさん(心の中での通称はテリにゃん)は“ただのケーキじゃつまらない。思い切り特別じゃないと”とアメリカンママオーラでさらっと述べた。ケーキは本当に特大だった、

みんなが笑顔でいれますように。私もこういうことがさらっできる人になりたいな。

 来年の誕生日はもう1人ここに居るのかと思うと信じられない。

 

変化の年になりそう。自分の感覚がまたどんなふうに増えていくのか楽しみ。私は欲張りだから、変わるんじゃなくて今までの自分が増えていくと考えたい。

猫は突然やってくる

猫は突然やってくる。

ヘンリーのお母さんと姪っ子のマチちゃんがドライブに出かけた日のこと。

道路に子猫が横たわっていた。身体には虎のような縞模様。とっても華奢で美しい子猫ちゃんだ。

 

しかしスコットランドにわずか40匹弱しかいないワイルドキャットの赤ちゃんの可能性が浮上。だとしたら大人になったらなかなかの暴れん坊になってしまうかもしれないのだ。ヘンリーはそれでも完全に子猫の可愛さにノックアウト。どうかワイルドキャットでありませんように、、、家族のみんなもだんだんと野良猫でありますように、だとしたら引き取りたい、、という意向になって行った。

 

間も無く子猫の品種を確かめるために動物愛護団体の人が家にやってきた。うーんとしばらく子猫を見つめる。どうかワイルドキャットじゃありませんように!一同に緊張が走り、、、“どうやら尻尾の細さと形状から野良猫でしょう”との判定。一同ホッと胸をなでおろしヘンリーはとっても嬉しそうだった。“あなた方が引き取るならぜひ、どうぞ!私たちが引き取ってもこの子猫はとても小さいし可愛いから貰い手に困ることはないでしょう!”と言った。

 

その日マチちゃんが家に遊びにきていた。見つけてレスキューした本人なのに子猫ちゃんを見る目がなんだか寂しげで子猫に対して無反応という感じであった。後から聞くと本人は見つけた子猫を飼いたかったけれどお母さんにこれ以上ペットはダメ!と断固拒否されてしまったそうだ。10歳の眼差しはとっても素直だ。感情をぎゅっと押しこらえてしまうこともある。その眼差しの奥を見逃さず読み取ることが大人に必要とされているような気がした。

 

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