Kocco’s blog

イギリス生活、美術教師、ロックダウン、妊娠

オーナー、オリエルさんの生き方

働くケイトスタジオはウェストロンドンに拠点を構える美術学校/アートスタジオ。“Creative for All”のキャッチフレーズに込められたオーナー、オリエル氏の想いとは。私はそこで働く中で忘れられない日が幾度とあった。ここに書き留めておこうと思う。

 

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油絵専攻、大学時代に彼女はイギリスを離れ遠く離れた南アメリカはチリで過ごす。スペイン語を0からマスターし異国での生活に刺激を受けるがそこで恋に落ちた版画家のパートナーと共にロンドンにクリエイティブスタジオを作る夢を胸に抱き帰国。生まれ育ったイギリスで家庭を築きスタジオの運営で収入を得ながら暮らす事ができるような理想の職場を作るために彼女は思い切ってウェストロンドンに物件を買ってしまった。そしてなんとスタジオのオープンと共に彼女は第一子を出産。我が子には自閉症発達障害があることがわかった。

 

ケイトスタジオでは小中高生から大人まで陶芸、ドローイング、プリントメイキングなどアートを楽しむことができる。失敗を恐れず冒険する、ワンパターンの成功に執着しない、自由になりにものづくりの過程を通して自分自身の感覚を楽しむことを教えたいと語る。息子の存在からインスピレーションされ週に一度彼女自身にとっても挑戦と語るのはSEN(Special Education Needs)クラス。ハサミや筆、ノリを使い素材を組み合わせていく作業は参加する生徒にとって絶好のアートのストレッチだと考えている。スタジオのメッセージに賛同したボランティアの大人たちや地域の高校生も職業体験でアシスタントとして参加しクラスは毎週盛り上がっていく。

 

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将来的にはアーティストインレジデンスのプログラムも設置し海外からロンドンで経験を積みたいアーティストに美術教育の現場で働きながら制作場所と住まいの提供を考えているらしい。オーナー自身はロンドンを離れ子育てすることも視野に入れているそうだ。そしていつかハンディキャップがある子供達も共に手を動かしいつしか彼らが働くことのできるような場所を作り上げていきたいと語っていた。思い描いた世界を実現するために常にたくさん周りの人とコミュニケーションをとり、先へ先へと動き働きかける彼女のオーラと情熱は人並ではない。彼女のビジョンに賛同し14年来の暖かなコミュニティがそこに出来上がっているのだ。

 

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とある日の午前中は二時間の2:1の陶芸ロクロ体験。来てくれる人には時間内にめいっぱい楽しんで欲しい、スタジオで働き始めて4ヶ月が経っていた。でもそれはまず本当に楽しんでもらうには工程をきちんと伝えてからだと思っていた。陶芸を専攻した大学4年間、物作りは大好きだ。そしてその頃レッスンを行うとき、自分の口から呪文のように出て来ている英語を発見してしまった。その背景にはセリフで教えることに慣れて来たルーティーン化した自分と、時間にかかる講習料とかいろんな台無しにできない大人としての都合、責任、、みたいなものがそうさせていることにも気づいた。そして目の前では今さっき説明したことが全く生徒さんに伝わっていないという現状。。その時私は英語の呪文を止めその時そこに立つ自分が発することができる英語で伝えて導いていかなくはいけないことをようやく実感した。でもあの単語がが出てこない。例えば“高さを出す為に底上げをしなくてはいけないけれど側面のそこの部分に土が足りないからもう一度ひとつまえのプロセスに戻って中心から指の腹をスライドさせて土を外側に描き詰めて。。。”なんて伝えたい時、、ありったけのボキャブラリーで挑むけれどもっと回りくどくなってしまった。伝わっていないことは生徒さんの手つきをみれば一目瞭然。結局手自ら振りを見せて、“。。。Like this..?”といって見せた。

 

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人には強いてはいけないしそれぞれのペースがあるし教える側としての上からの圧力もかけたくない。出来上がっていく器がたとえ完璧でなくても、そんな状況も一緒に楽しもうと思いたいがために笑顔は絶やせず、、、気楽に気楽に残りの時間をマネージしていくぞ、、、とそんなことを意図的に考え始めたから私は全然気楽でなくなってしまった。お昼ご飯を食べようとオーナーと兼用のキッチンに行った時“ハロー!(本当にザ・クイーンズイングリッシュ)クラスはどうだった?”そう聞かれて、先ほどのクラスのことを説明してたら考えがうまくまとまらなくて涙が止まらなくなってしまった。外は昼下がり。雲の切れ間から太陽が上がって来て私の涙を照らしていた。なんだか無駄にドラマチックな瞬間になりそうなことに気づいたけれどいろんな思いが溢れ出て止まらなかった。普段真面目に黙々と働いている“日本人のコッコ”は考えすぎた後は脳内停止、ただただ涙が出てしまった。でもそこで素直に言葉を交わして、その瞬間を覚えていれば今は根っこでわからなくても将来の自分の人とのコミュニケーションのあり方を根本的にかえるような出来事になりそうだとも思ったのだ。

 

“マスターの専門的な技術を学ぶ為にこのスタジオがあるんじゃないのよ、初めてスタジオに訪れて陶芸に出会う人のそのもの作りに対する固定概念や完成形を自分で実現するのは難しいんじゃないかって考えてる全ての人のプレッシャーを取り除き自分にもできるっていうセラピューティックな創作のためにここがあるの。初めて作るポットの精度がどうだって構わないじゃない、一時間の中で仙人になろうとすること自体間違っているし、大事なのはその場にいる私たちがいかにその人の中のいろんな壁を取っ払うことができるかということが大切なの。”

 

。。。(もちろんこの裏では私を含め他のスタッフがテクニカル面で裏打ちできるものかある必要があると強く感じるけれど)この考え方はこれから私とレッスンで出会う人、関わる人、何より自分にとって自分を比べて苦しめていた“理想の講師像”のような負担がなくなっていくと思った。多分陶芸だけではなく何をする上でも大事なのがそれぞれの人が自分にもできるという自信と自分はこれでいいのだと思える安心感を感じること。オーナーがストーリーテラーのように自分の物語を、セオリーを語り出してしまうのは、日々のやり取りの中で見えなくなってしまいそうな大事なメッセージを伝えるためだったのかもしれないということに私は気づき始めた。

 

 

“コッコ、これを盗めればなかなかいい人間になれるし何より自分が楽になるから”