シンプルに覆いかぶせた英語
スコットランドに到着したのは3月末のこと。ボリス・ジョンソンの“ステイホーム”のアナウンスと同時にイングランドとスコットランドの境界線を越え、パートナーの実家があるスコットランドはアンガス地方へ到着。コロナが流行が騒がれるロンドンと妊娠している私の身体を気遣って彼の母親が数週間、ロンドンを離れて田舎にきたら?と提案してくれたのだった。
時は流れ数週間のつもりが滞在は4ヶ月まで。森に佇むこの家で、小さな田舎町で、実にいろんなことが起きた。朝目が冷めるたびに“これは現実なの?夢を見ているの?、、私は現実離れした夢の中に生きていかなくてはいけないの”と自分に言い聞かせ1日が始まるのだった。
臨月。ここまでの道のりは思い出すように日を追って書き留めて生きたい。
今日は日本からはるばるやってきた母親を囲んで近くのレストランにランチしに車を走らせた。
テーブルでは将来の計画、どのようにして理想のライフスタイルと財を築いていくのか。子供を包み込むようにいろいろなことがより現実的に、確かに緊張感をもって色鮮やかに実現していくことができるような、、話し合うたびに希望と少しの不安と複雑に絡み合ったテンションで会話が進んでいくのであった。
英語での会話、母親が英語をキャッチアップできてるか顔色を絶妙に確認し時に翻訳を挟みながら会話は弾んで行った。
でも突然、母親の目は涙でいっぱいに溢れた。私にはその意味がわかった。“欧米”一同は唖然だったけれど。涙は私にも伝染して行った。
“前回あった去年の11月は、、こうなるなんて思っていなくて、、2人がこうして結ばれたことが幸せです。”
とタジタジながら英語でしっかりと説明してくれた。
その言葉の裏にどれだけの感情が複雑に絡み合っているか、私には彼女のシンプルに覆いかぶせた英語の奥からたくさんの日本語と念が聞こえてくるようであった。
娘が手の届かない遠くに行ってしまう喪失感、祝うことしかできない親としての立場。私はなんでこんな遠くまできてしまったんだろう。後悔のないように生きる、選ぶことで起因し降りかかった出来事はとてつもなく悲惨に思えた。母の気持ちを完全に通訳するのは難しいかもしれない。遠くの母国に焦がれて切ない気持ちになってしまうより、相変わらず気にかけてくれる友人、イギリスで出会いお世話になっている人に感謝を忘れずに前向きに進んでいきたいが、、絶対に見逃してはいけないリアルな感情もそこにあるものだ。涙は言葉になる前の感情。とっても純粋なものであった。
コロナが全てを変えて行ったと行ったらそれまで。ここから自分たちの手で納得行くまで這い上がって行くしかないのだ。